(以下は、東京府中のローカルFM、「ラジオフチューズ」(87.4MHz)の番組 ”Have a Rice day!” の放送原稿を加筆修正したものです)
こんにちは。宮町の天地米店、小澤量と申します。米屋の三代目です。これから、お米に関する色々な情報をお話ししたいと思います。
今日は、お店の自己紹介をさせていただきます。まず、店名、天地という屋号についてです。漢字は、天国の天と地面の地。この屋号は、とある水車、そして、その水車があった地名にちなんでいます。
ちょっと長くなりますが、昔の情景を想像しながら、聞いていただければと思います。府中の東京競馬場。目黒から競馬場がうつってきたのは、昭和のはじめ。それ以前は、一面田んぼでした。そこから北を見れば、山です。このへんでは、ハケと呼ばれる崖の地形ですね。山の名前は天神山。天神社という神社があるからです。山の下には「根岸(ねいし)川」という川が流れていました。主に、農業用水として使われていたようです。今は歩道の下で見えません。
山の下は、天神下と呼ばれ、それが、てんぢした、てんぢ、てんち、と変化していきました。
さて、時は1823年、江戸時代の文政6年。今から、約二百年前。当家の先祖が水車を作りました。はて、水車って何でしょう?当時は、電力もない時代、お米の精米、小麦の製粉のために、水車の動力が使われていました。
府中は、江戸時代、穀倉地帯だったのです。そこで収穫される米麦などを精米製粉する水車が十台くらいありました。
当家の先祖は、さきほど説明した用水のとある場所に、水車を作りました。天地という場所です。これが、天地車(てんちくるま)と呼ばれていた水車です。この地名が、当家の屋号となりました。
東京競馬場駅の改札を出て、すぐに左に向かって行きますと、途中から下り坂になります。坂を下りきったところに、「天地の坂」、という府中市の碑が立っていて、今のお話しの要約が書かれています。
さて、水車による仕事を、水車稼業といいました。私の祖父、三代前は、本家の八男坊。水車稼業をを手伝っていましたが、今から約百年前、大正13年、西暦で1924年。本家から独立分家して、米屋を開業しました。精米するだけではなくて、販売を開始しました。私で、三代目です。戦中戦後の食糧統制の時代、米屋はできませんしたが、その後、再開して、今に至っています。
長い前置きになってしまいました。お米の話は次回から、毎回テーマを変えてお話したいと思います。
今、考えているテーマは、
- 「お米は一期一会、いつものお米はない」
- 「有機米・特別栽培米って何?」
- 「美味しさはいつもあなたの舌が決める」
- 「お米の品種改良、遺伝子操作との違い」
- 「お米の保管」
- 「炊飯器の選び方、使い方」
- 「お米は研ぐのか洗うのか?」
- 「お米が収穫されてから口に入るまで」
- 「お米と栄養・健康」
などなどです。
お米に関することで、聞きたいことがあれば、どのようなことでも結構ですので、是非お問い合わせください。お問い合わせ方法は、当店か、ラジオフチューズにメールにてお願いします。直接、店に来られてもかまいませんよ。当店へのメールですが、まず、天地米店、もしくは、府中の米屋で検索して当店のサイトを開いてください。メルアドが記載されています。
それでは、次回は四月十六日、お米に関する話の第一回目です。皆様のお役に立てる情報になれば幸いです。Have a Rice day!