先回、無洗米の三つのPRの内、環境改善について検証を開始しました。
お米の消費量が少なくなってから増えた水質の問題なのに、お米のとぎ汁をなくせば問題解決につながるというような主張だということをお話しました。
今日は、もう少し細かく説明します。
全国無洗米協会のHPでは、
下水処理技術の高い下水処理場でも、チッソ53%、リン34%が処理しきれず素通りしてしまいます。と書いていますが、この数字には問題があります。
かつては、除去率が30%でしたが、高度処理により改善された場合は、窒素は約70%、りんは約80%以上まで除去できるようになりました。
こういう基本的な数字ですら、誤った説明をするんです。
さらに、次の文章です。
「下水処理するにも、汚泥の発生や大量の二酸化炭素を発生するのです。本物の無洗米はそれらをゼロに出来るのです。」
これも問題があります。下水場からは、汚泥も発生しますし、処理に酸素を使い、酸素を供給するのに電気を使うので、二酸化炭素を発生すると言ってもいいでしょう。
しかし、あとで詳しく説明しますが、窒素とリンの供給源は研ぎ汁だけではありません。つまり、研ぎ汁をなくしても、「ゼロ」にはできないのです。
本当に、下水処理の仕組みや実情を知らない人を勘違いさせる文章なんですね。
全国無洗米協会HP内の文言のいい加減さは、ご理解いただけたでしょうか。
これから、下水処理についてざっと説明します。下水がどのように処理されているのか?どのような問題があり、どのように進化しているのか、ということです。
これがわかっていないと、無洗米の環境貢献というPRにひっかっかってしまうからです。
今、日本の下水道の処理って、薬で浄化するのでしょうか?違います。活性汚泥という処理方法です。
これは、微生物に酸素を送り込み、汚れを食べさせて水を浄化する方法です。微生物は汚泥となり、底に沈殿します。処理された上澄みが放流されます。汚泥は、また活性化されて再利用されます。汚泥の余剰分は、焼却などで処理されます。
この処理で大事なことは、流入する水量と汚れの中身です。処理しやすい自然由来のものが安定して流入してくる。こう想定されています。
工業的に作られた物質は、処理しずらく、上澄みの水質が悪いまま、放流しなければいけなくなります。
一方、米のとぎ汁は、まさに自然由来です。処理しやすく、汚泥ができやすい。汚泥ができないと困るのです。
無洗米PRでは、汚泥を邪魔もののように表現したり、ヘドロと言ってみたり、下水を知っている人からみたら、ありえない表現をするんですね。
活性汚泥法の弱点は、無洗米PRで言うように、窒素とリンが除去しずらいことです。さきに言いましたが、かつては、除去率30%でした。これも一部では改善されています。
さて、窒素とリンという問題ですが、本当の犯人は別にいます。何だと思いますか?
答えを言います。それは、トイレです。窒素で80%、リンで70%を占めています。
昔、トイレはくみ取りで、し尿処理場で、下水とは別に処理していました。し尿処理場は、原理は下水と同じですが、窒素とリンはほとんど100%処理できていました。
汚い、臭いイメージのくみ取り処理のほうが、窒素とリンに関して言えば、優れていたのです。
生活の進化や改善を意味したはずの、下水普及率向上は、窒素とリンの排出を増やして、富栄養化という問題を悪化させてしまったのです。
下水に流れ込むのは、トイレと台所とお風呂洗濯です。トイレ以外をまとめて生活雑排水と言いますが、米のとぎ汁は、その一部でしかないのです。
無洗米の環境PRは、研ぎ汁をスケープゴートにして、無理やりな理屈を組み立てているのがおわかりいただけましたでしょうか?
ここまで説明しても反論される方がいます。
「それでも、少なくなるのだからいいのではないか?」と。
これも本質的に間違っているのです。
先に説明した下水処理の原理を思い出してください。下水処理場に流入する物質の量と質が大事だと。想定された日々の汚れが、安定して下水場に入ってくることが、良い処理の決め手なのです。汚れがなくなればいいわけではないんです。
そして、さらに言えば、窒素とリンがなくなれば、プランクトンが発生しません。そうなると、川や海の中での食物連鎖もおきません。多すぎるのが問題なだけで、必要なのです。だから、富栄養化というのです。汚れではないんです。
今日はここまでです。