現在、日本で作られるお米の約四割を占めるコシヒカリ。その道のりは以下のようなものです。
元々、コシヒカリの開発は、1944年(昭和19年)、新潟で始まっていました。戦後、北陸の開発品種は全て福井県農業試験場に集められたので、1956年福井県で誕生しました。
最初「越南17号」という系統名でしたが、北陸の昔の国名「越の国」にちなんで、「コシヒカリ」と命名されました。
親品種は、いもち病に強い農林22号と食味・収量が優れる農林1号。この両親からは、コシヒカリの他にもいくつかの品種があります。全く、性質が異なります。育種の難しさと面白さがわかります。
最初は、あまり良い評判ではありませんでした。食味は良いのですが、病気に弱く倒伏しやすく、栽培しにくかったからです。
誕生県の福井県でも生産が見送られましたが、新潟と千葉だけが採用した結果、コシヒカリは日の目をみました。
その後、時代は量より質、美味しいお米が好まれる時代となり、倒伏を防ぐために肥料を抑えた、良食味のコシヒカリは、ササニシキと並ぶお米の横綱となり、全国的(北海道・青森・岩手・秋田・沖縄を除く)に作られるようになりました。さらに、コシヒカリの子供・孫まで入れると、日本の生産量の7割以上を占めるほどの、圧倒的な存在です。
日本中で作られるコシヒカリ。しかし、食味・品質はかなりの違いがあります。コシヒカリの子供にシフトしてしまった本場新潟県。大粒で噛みごたえのある山形県。薄味で硬めの関東など。
この北村さんのコシヒカリは、一体どんなお米?
まず、本来の「コシヒカリ」であること。確実な統計はないのですが、新潟県の生産量の中で、もう5%もあるかないか、と言われています。
「苗半作」と言われます。良い苗を作れば、良い米が50%保証されるということです。北村さんは、苗が3.5葉、4.5葉と言われる状態になるまで育てます。実は、苗をどこまで育ててから田植えをするかは、地域や気候、農法や機械などなどによって様々な考えかたがあります。北村さんのやり方では、田植え後の生育は遅いです。葉の色も薄いです。でも、このようにじっくり取り組むと、病気も少なく、虫にも強い稲になる、親子で引き継がれた農法です。
そして、「少なく」植えます。一坪に45株(多いところでは、60株とか植えるところもあります)。株数が少ないと、収穫量も少ない?いえ、そうとは言えません。薄くまけば、風もよく通り病気になりにくく、お日様もたくさん浴びることができて、一株一株が太くなり、たくさん枝分かれ(分けつ、と言います)して、最終的には十分な収穫となります。
肥料は、化学肥料は使いません。じっくりと稲が必要な量だけ吸える有機肥料です。田植え時にまずまき、穂が出る前を見計らって、またあげます。肥料のまきかたも色々な考え方がありますが、北村さんは、稲の生育を見計らっての最適な時期を選択していきます。これも、専業として日々、田んぼをチェックして、稲が欲するものをあげることができる北村さんならではです。
水管理も重要です。北村さんは、できるだけ15cm程度の水を張っておきます。天気の温度変化をできるだけ受けないためです。これも、日々、田んぼを見ているからできることです。
最後に、乾燥です。すぐに高温では乾燥せずに、まず送風だけで乾燥します。次の日に一時間で0.5%ずつ下がるようにゆっくり乾燥します。18%になったらいったん休み、3~5時間おいてから、最後の調整で15.5%になるようにします。
あまり早く乾燥させると、その後に割れやすい米になったり、水分量が戻ったりします。ここでも、慌てず、最適な条件でお米にできるだけ負担をかけない仕事です。